症状が顕著に出ている時期を越えて、フラットに向かっているときのお話です。
あの感覚は極めて独特でした。「今日は何の自分か?」と探りながら起床するのです。怖くもありましたが、フラットのときはとても嬉しかったものです。
起床してお洋服を選ぶとき。躁だとド派手なものを選ぶのですが、フラットだと本来の好みのものを手に取ります。思わずふふふと微笑んでしまうくらいに嬉しいものでした。
そんな日は、「あぁこれが私だ。そうだ忘れてた。この感じだ」となります。躁状態のときも「これが本来の私だ!」と思いますが、そのようなときの異常な高揚感はありません。これだこれだ、と静かにニヤリとする感じでした。
そして密やかな満足感と共に「双極性障害は面白いヘンテコな病気だな」とまで思えるようになります。
しかし、回復期はフラットな状態が安定しません。私の場合の躁状態のときのように早朝覚醒してしまい、何かしなければという焦燥感に苛まれることもありました。
そのときは残念な気持ちと共に眠剤を飲んで、躁転が収まるように願いながら寝るものでした。
少しずつ少しずつ、回復していくのがとても幸せでした。何も出来なかった鬱状態から漫画を読めるようになり、食事も少量ながら摂れるようになり、お風呂に入れるようになり、お洋服を選ぶことまで出来るようになり。
このようにして日常生活を取り戻していきました。月並みな表現ですが、まさに灰色の世界に色が付いていく感覚です。
ちょっとお洒落して喫茶店に行き読書を楽しむことのできたあの日を、私は忘れません。
全てを壊す躁状態、次に希死念慮に苛まれ泣くしかない鬱状態。最後に自殺企図に至った混合状態。それらを越えて緩やかに回復して行く喜び。
「今日は誰だ?躁の自分か?何だろう?」という恐ろしくもわくわくする回復期の感覚。寛解を続けたいので、もう味わってはいけないものですが、あれはあれで良い日々だったと思います。
Meli Melo
双極性障害患者の小説と病気のお話。
0コメント